経済産業大臣が指定する、100年以上の歴史を有する工芸品です。古来より大陸文化の玄関口として栄えた福岡県では7品目がこの指定を受け、それぞれの産地の職人たちが伝統の技を守りながらも時代に応じた新しい作品づくりに挑戦し続けています。
今から約770年前、中国から伝わった技法に改良を重ね、美しい光沢と厚地が自慢の博多織が生まれました。博多帯を締めると緩まない、博多の「粋」の象徴です。
福岡を治めた黒田藩の瓦職人たちが焼き始めたと言われる博多人形は、日本の美の象徴として国内外で高い評価を受けています。
紐で括り、藍染めした斑模様の糸を縦横に組み合わせて織りあげることで様々なデザインを生み出す久留米絣。江戸時代に井上伝という少女が考案しました。
実用的で質実剛健な「用の美」の代表として民芸運動の始祖、柳宗悦が高く評価したことで全国に知られるようになりました。「飛び鉋」などの文様が特徴です。
細川家、小笠原家にわたる藩主の御用窯として珍重され、「遠州ゆかりの七窯」として茶人に好まれていました。美しい釉薬と「薄づくり」といわれる軽さが独特の深みを生んでいます。
八女福島仏壇は漆、金箔、木工、金工など工芸技術の結晶です。江戸時代に一人の大工が夢に見た壮麗な仏閣を再現したものが始まりと言われています。
八女の竹や澄んだ水から生まれた和紙を素材にして誕生した八女提灯は、幽玄の灯りが人々の心を癒す仏具で、八女は今や全国有数の提灯の産地となっています。
福岡県で製造される郷土色豊かで、一定の伝統性を有する(技術・技法が50年以上の歴史があり今日まで継続など)工芸品・民芸品を知事が指定しています。現在35品目が指定され、福岡県内のみならず、日本中の人々に愛されています。
北九州は海に近く風が強いため凧上げが盛んな地域といわれ、竹内孫次氏が「門司のふぐ」や「若松の河童」などをモチーフに作り始めたのが孫次凧です。
小倉織は、地厚で丈夫、なめらかな木綿の織物です。経糸の密度が高いため、緯糸が見えず、表現としては、たて縞となります。
八朔の馬は、男の子の「八朔(旧暦8月1日)」の初節句に、祝いとして近隣住民に配るもので、武将を模して「元気で勇壮に育つように」との願いが込められています。
芦屋釜は、南北朝時代頃(14世紀半ば頃)から筑前国芦屋津金屋で造られた茶の湯釜です。「真形(しんなり)」とよばれる端正な形と、胴部に表される優美な文様は京の貴人達に好まれました。
約230年の歴史を持つ素朴な素焼きの人形で、職人の家に代々伝わる「型」を2枚合わせて作られ、重厚な安定感と鮮やかで力強い色彩が魅力です。
性質の異なるガラスを幾重にも重ねる特殊な技術でつくられる、豊かな曲線と鮮やかな色彩をもつガラス製品で、約100年前から作り続けられています。
無駄な水分を飛ばす性質から、古代より重宝されてきた容器で、今でも寿司職人たちに愛用されています。きちんと手入れをすれば50年使えると言われています。
宋の貿易商人、謝国明が伝えた「唐鋏」が、博多の刀鍛冶師たちの手によって進化したのが博多鋏で、刀に劣らぬ鋭い切れ味を誇ります。
木や石膏の型に和紙を幾重にも貼り重ねて作られる博多張子は、虎やだるまなどをモチーフにした縁起物として親しまれています。
博多独楽は、木の台に鉄心を打ち込むことで大変よく廻り、「曲芸独楽」の文化を生み出す起源にもなりました。
羽子板や壁掛けなどに下絵を描き、綿や布を使って立体的に盛り上げる押絵細工のことを福岡では「おきあげ」といいます。博多では、女の子の誕生を祝しておきあげを贈る習慣がありました。
素朴な中にも温かみのある土人形で、伝統的な生活文化や伝承文化、信仰など人々の暮らしに結びついたものも多くあります。
かつて太宰府天満宮の造営を邪魔した蜂の大群を退治したと言われる鳥、「うそ」が木にとまっている姿を表現したのが木うそです。
端午の節句に男の子の成長を願い、2本1対で飾られる杷木五月節句幟は、豊かな水量を誇る筑後川で色染めされます。
国内最古の約800年の歴史をもつ土鈴で、文武天皇が英彦山に奉納した鈴が由来とされています。現在でも玄関などに飾られる魔除けとして重宝されています。
農家の休耕期の副業として広く生産されていた棕櫚箒は、埃を吸い付かせる性質のある棕櫚の皮を使っており、これで掃除すれば適度な油分によって自然と床につやが出てきます。
鮮やかな布に綿を入れ、一つ一つ重ねて作る「おきあげ」は、有馬藩の武士の妻たちが作り始め、華やかな雛や歌舞伎役者を描いて明治・大正まで盛んに作られました。
竹で編んだ器に漆をかけ、幾重にも研ぎ出して独特の模様を出して仕上げます。軽く丈夫で使うほどに味わいの増す逸品です。
久留米藩主の有馬氏のもとで盛んになった城島の瓦は、優美な光沢と格調高い姿形、耐久性に定評があり、九州各地の神社や仏閣・日本家屋に使われ、魔除けとして建物を守ります。
17世紀初めに久留米の日吉神社の神官が副業としたことが発祥とされ、材料となる真竹が筑後川経由で入手できたことなどから盛んに作られました。
日本最古の綿緞通と言われ、海外で一般的な羊毛でなく、当時地元で多く採れていた木綿糸を使った重厚な織物で、高温多湿な日本にふさわしい敷物として愛されています。
起源は九州で最も古く、400年以上前、越前の僧・日源上人が矢部川の地理や水質が製紙に適しているのを見て、加工術を伝授したと言われ、丈夫で強いのが特徴です。
地元で多く採れる凝灰岩の、軽く柔らかく風化しやすい性質を活かし作られる石灯ろうで、時とともに石苔をたたえ風情を増していきます。
良質の真竹と孟宗竹に恵まれた八女地域で盛んになった竹細工は、塗料も接着剤も使わずに50~60年は実用品として使用できる逸品。
良質な篠竹が豊富な八女地域で作られる八女矢は、竹を炭火で炙りまっすぐに伸ばす「あらため」という技法をはじめ、羽根のカットなどすべて手作業で作られています。
菅原道真が伝えたという説もある八女和ごまは、樹齢30年以上の木を1年以上乾燥させて用いる伝統のコマで、木芯の削り出しに熟練の技が求められます。
愛称を「ててっぽっぽ」と言い、古い方言で「不器用な人」という名の通り、粗い素焼きの姿に型合わせの際にはみ出た部分も残ったままで、素朴さがあふれる人形です。
開運や縁結び、家庭円満への道案内をすると伝えられるきじ車は、詩人・北原白秋の詩にも詠まれており、くぎを使わずナタ一本で形を整え、絵付けされています。
樟脳とは楠(クスノキのこと)を細かく砕き、大きな釜で蒸すことで作られる水蒸気を結晶化したものです。清涼感のあるさわやかな香りが特徴で、古来より衣類の防虫剤として人々に親しまれてきました。
い草の産地として知られる筑後一帯で生産されてきた掛川は、い草特有のさわやかな香りと鮮やかな色彩・風格が持ち味で、筑後の夏を感じさせる敷物です。
調温・保湿・難燃・防虫と、高温多湿な日本の風土に合った桐材の特性を最大限に活かした箪笥で、精巧な作りに職人の技が光ります。
屋久杉を使い、木目の繊細な線の美しさを活かすことで立体感を出す伝統の透かし彫りで、職人の木を見極める感性と日々鍛錬を重ねた技術に裏付けされた逸品です。
約300年の歴史を誇る工芸品で、三組手と呼ばれる三角形の地組みの中に精巧な図柄を組み上げる技術には、数ミクロン単位を調整できる職人の技術が必要です。
柳川地域で女の子の初節句に飾られる「さげもん」に欠かせないものとして、草木染の木綿糸やカラフルなリリヤン糸を緻密に巻きつけながら刺繍して作られます。
良質の竹に恵まれた八女地域で、竹ヒゴを一本ずつ差し込んで編み上げられる八女すだれは、高級調度品として現在も日本家屋や神社仏閣で使用されています。